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東京高等裁判所 昭和56年(う)1819号 判決 1982年2月17日

本籍

福井市宝永四丁目一三一一番地

住居

神奈川県逗子市久木四丁目一九番一八号

医師、歯科医師

飯沼昌夫

明治四五年七月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年九月二一日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官隈井光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人狐細鉄世、同川崎友夫、同柴田秀連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官隈井光名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

弁護人らの所論は、要するに、原判決の量刑は、執行猶予付きとはいえ、被告人に懲役刑を科した点において重きに過ぎ不当である、というのである。

そこで、検討すると、本件は、病院及び歯科診療所を経営する被告人が、医薬品等の仕入れ高や給食材料の水増し計上、利子収入の除外等により所得を過少に計算した内容虚偽の所得税確定申告書及び青色申告決算書を税務署長に提出することにより、昭和五二年から昭和五四年までの三年分の所得のうち合計一億一、四七七万円余りを隠蔽し、右三年分の所得税合計八、〇七一万円余りを免れたという事案であって、隠蔽した所得金額及び免れた所得税額が多額であること、その逋脱率も、事業所得の落ち込みにより申告納付すべき所得税額が比較的少額となった昭和五四年分こそ約一七・五パーセントにとどまったものの、その前年の昭和五三年分は約四三パーセント、その前年の昭和五二年分は約五八パーセント余りに達しており、決して低率であるとはいえないこと(なお、被告人の所得税逋税率について考えるにあたっては、被告人の所得の大部分を占める病院等経営による事業所得の源泉の大半が社会保険診療収入であるため、被告人の所得が本来隠蔽の困難なものであることに留意する必要がある。)等に徴すると、被告人の刑事責任を所論のように軽くみることはできないのである。

ところで、所論は、被告人が所得を家族名義や架空名義の定期預金等にして隠蔽した点を含めて本件脱税の動機がもっぱら将来起こりうべき病院経営上の危機に備えて余裕資金を確保することにあった旨主張するけれども、関係証拠によれば、それが本件脱税の唯一の動機であったとまでは認められないばかりでなく、そもそも飯沼病院は被告人個人の経営にかかるもので、病院経営によってもたらされる利益は挙げて被告人に帰属するのであり、脱税によって蓄積される預金等の資産はすべて被告人個人のものとなることに鑑みると、被告人が本件脱税をなすにあたり、自己の病院の持つ公共的役割のことをも念頭に置いていたとしても、そのようなことが所論で強調するほど本件脱税を正当化するものであるとは思われない。

そうすると、本件脱税が主として所得税確定申告書及びそれに添付する決算書類の虚偽記入を手段とするもので、虚偽帳簿の作成や証拠書類の偽造までも伴うほどの悪質さは備えていないこと、被告人が本件発覚後は素直に自己の非を認め、本件各年分の所得税本税もすべて納付したこと、また、現在、飯沼病院の医療法人化を計画しその手続を遂行中であるが、法人化すれば、経営は安定し、計理も明朗化され、監督官庁の監査もあるので、客観的にも脱税は困難となること、その他被告人が飯沼病院の経営を通じ長年社会に貢献してきた者であること等、所論指摘の諸事情を十分に斟酌しても、被告人を懲役一年及び罰金二、三〇〇万円に処したうえ、三年間右懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑が不当であるとまでは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 浜井一夫)

○控訴趣意書

被告人 飯沼昌夫

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五六年一二月二一日

右弁護人弁護士 狐塚鉄世

同 川崎友夫

同 柴田秀

東京高等裁判所第一刑事部

御中

原判決は刑の量定が不当なものであるのでその破棄を求める。

すなわち、以下に述べる本件犯行に関する被告人に有利な諸事情からして原判決が被告人に対して言渡した刑は重すぎると言わざるを得ない。

一 本件犯行の動機について

1 原判決はその理由中において被告人が本件犯行をなすに至った具体的動機に関して、それにより脱税が許されるものではなく格別斟酌すべき事情は認められず、むしろ私財を蓄えていたという面を見逃し得ないという。

2 もとより弁護人は被告人が本件犯行をなすに至った動機を明らかにすることにより被告人の本件犯行そのものが許されるべきであると主張するものではなく、ただいかなる犯罪行為においてもそれがどのような動機のもとになされたのかによりその罪質に大きな差異が生ずると考えるのである。

本件の場合、被告人経営の飯沼病院の診療科目の特殊性(精神病、老人を対象とする内科)からして病棟等病院諸施設に多額の資金を要し、その結果銀行に対して多額の借入金債務を負うに至ったこと、昭和二〇年代に入院患者のストによりやむを得ず発生し以後昭和五二年に銀行借入に切替えるまで存続した市中高利貸に対する多額かつ高利の借入金債務の存在、入院患者の経済的負担を軽くすることを第一とした被告人の良心的病院経営の結果としての飲沼病院の医療収入の低さ等の事情から被告人は借入金の返済に苦しんでおり、飯沼病院の経営困難に直面してやむにやまれず被告人は本件犯行をなすに至ったのである。

3 原判決は被告人が家族名義・架空名義の定期預金等を持つことをもって右に述べた被告人の本件犯行の動機につき疑問を呈するもののようであるが、これは被告人がこれまでの病院経営の歴史の中で現実に昭和三六・三七年頃には病院建物が競売に付されるということがあり、又昭和四三・四四年頃には銀行取引停止処分を受けるなど、病院経営の危機に直面した経験を持っていたことから、右のような状態に再び陥った場合に備え資金を確保すると共に、しかも飯沼病院が法人組織ではなく被告人の個人経営であることから、被告人名義の預金等への差押等がなされ入院患者の薬品・給食材料の仕入費用にさえ困窮するという事態を考え、あえて家族等の名義にして預金等をしたことによるのである。

又、被告人の預金等の金額が昭和五四年一二月末には約二億となっていることは、被告人に対する本件起訴の対象年以前である昭和五一年一二月末日時点では勿論、被告人が脱税に該当する行為に着手する以前である昭和四九年一二月末においても右預金等の金額が一億円を超えていたのであり、被告人の脱税行為と直接結びつくものではないと言うべきであるが、何よりも五〇〇名に近い入院患者をかかえ、医師一二名を含む一五〇名に及ぶ従業員が勤務する飯沼病院においては年間の経費支出が六億乃至七億円にも上り(従業員の給料だけでも毎月三千万円を超えこれに薬品・給食材料の購入費その他が加わる)、従ってこのような大規模病院を個人で経営する被告人が、経営の緊急事態に備えて蓄えた金額としては二億円という額は病院の経費の僅か四ケ月分であって決して大きなものではないのである。

この点を見逃し通常の一人乃至二人程度の医師が勤務する医院と同じレベルで本件を判断するのは大きな誤りである。

4 原判決は又、被告人が昭和五二年一〇月、七、五〇〇万円をかけて新居を建築したことを挙げて被告人の私財蓄積のしるしとし本件犯行との関連をいうようである。しかし、現在地に飯沼病院を開設して以来昭和五二年まで三〇年以上に亘り営々として医療業務を行いその間借家住いを続けてきた被告人が、六〇代の半ばを過ぎた年齢において初めて自宅を三年の分割払により建築するに至った右行為をもって本件犯行と結びつけ私財蓄積云々をいうのは、三〇才代において高額の不動産を取得する人々が多い昨今の状況からして、実に偏った視点から物を見たと言わざるを得ないのである。

二 犯行の態様及び内容について

1 被告人の本件犯行は主として医薬品及び給食材料の購入費用の水増し計上により行われたものであるが、これは昭和五二年分について六、〇〇〇万円、同五三年分については五、六五〇万円、同五四年分については三、二五〇万円という、いずれもその場の思いつきによる非常に大まかな数字を経費として水増ししたに過ぎず、しかも右水増し金額は税務署への所得税申告をなす前日等直前において初めて決められ、申告書類及びこれに添付する決算書類に記入されるだけであって、脱税行為の際極めて一般的に行われている領収書等の改ざん、偽造等の脱税事実を隠蔽する工作は全くたったの一つも行われていないのである。

2 又、若干の収入を税務署に対する申告から除外した点についても、そのうち被告人経営の歯科クリニックにおいて歯科医師から得ていた矯正治療設備使用料はわずか年間一〇万円乃至二〇万円という少額のものであり、都民生局や福祉事務所から支給される緊急ベッド確保料は、予想される緊急入院患者のためベッドをあけておく費用という性質をもつものであることから、いずれも被告人においてその所得を隠すという意識は全く希薄だったのである。更に保険の窓口収入分については、飯沼病院の診療科目が精神神経科及び寝たきり老人を主として対象とする内科であるということから医師の確保が困難であり、このため医師をつなぎ止めておくための医師に対する裏給与とする趣旨で申告から除外していたものであり、これによって利益を得るのは被告人が雇用する医師のみであって、実質的には被告人自身の脱税を図る手段ではないのである。

3 被告人は本件犯行を自ら積極的かつ直接的に行ったものではない。

すなわち、前述のとおり被告人の病院経営は借入金の返済に追われ極めて困難な状態にあったところ、昭和五〇年より毎年の収支自体は黒字となり多額の納税義務が生じる一方で、依然として従来からの債務弁済は続くという事態の中で、経理を担当していた中蔦雅男の「これ位に抑えておかないと病院はやってゆけない」との勧めについ乗り、同人が呈示した金額の経費水増し等をそのまま受け入れてしまい、それが本件犯行まで維持されたのである。

4 一般の開業医においては、ひろく種々様々の節税策が考え出され現実に実行されているのであり、具体的には薬剤等につき別に販売会社を作るなどしてその節税方法は極限に達している観があるが、被告人は節税等の税務処理にうとく、又専門的な経理担当者を置いていなかったこともあって、右の医師一般の風潮に反してこれまで合法的ではあるにしろ社会的には非難を受けるような税金対策を全くとっていなかった。

それどころか被告人は、本件犯行が行われた昭和五二年から同五四年までの間における自己の収入を過大に税務署に申告さえしており、その額は右2に記載した収入の申告漏れにも匹敵するのである。

5 又通常飯沼病院のような多数の患者入院施設を備える大規模病院は医療法人にすることが可能であり、かつ医療法人の場合は税負担は税率五〇%程度という優遇措置を受けることから医療法人化することが当然の如く行われているのであるが、被告人は不運にも医療法人につき詳細な知識を持ち合わせていなかったため依然として個人経営の形態を維持してきたことにより、国税・地方税を合わせると八〇%にも上る税率による税負担に悩まされることとなり病院経営は一層困難となったのである。

すなわち、被告人が医療法人につき知識を有し飯沼病院を法人化していれば、本件犯行により納付を免れた所得税額程度のものは正当にかつ容易に節税することができたといえるのである。

6 以上みてきたように被告人の本件犯行は脱税事犯の形態としては単純幼稚なものであり決して巧妙悪質というべきものではない。

又、脱税の実質においても極めて軽微なものであって重大悪質ではないのである。

三 被害法益の回復、被告人の反省の度合その他について

1 被告人は本件犯行発覚後、自らの非を悟りかつ悔いて直ちに税務当局の指摘に基づき修正申告の手続をとり、すでに本件公訴事実に基づく脱税額を上回る合計九、〇三一万二、五〇〇円の本税分を納税済である。又、重加算税等についても猶予許可を受けて分納中であると共に、被告人の所有土地・建物に大蔵省に対する抵当権を設定しており、納付が確実に予想される状態にある。よって、被告人の本件犯行による被害はほぼ回復されたものということができ、又本件発覚後の被告人の税務当局に対する右の対応、その後の捜査機関による取調に対する態度、そして原審法廷における言動からして、被告人の反省の程度、改俊の情は顕著なものである。

2 被告人は税務処理の適正化を期すため従前の素人による取扱いにかえて、能力・見識ともに秀れた二名の税理士を顧問として迎え、すでに昭和五五年分の適正な所得税申告を行い、かつそれに基づく納税を完了している。

又、被告人が本件犯行をなす根本的な原因となった飯沼病院の経営不安については、現在飯沼病院を被告人の個人経営から医療法人とする手続が進行中であり、これが実現すれば、被告人において経済的困難から脱税等の方策に心を惑わされる可能性は完全に消えることとなる。

被告人の悔悟・反省の情に、これらの点を考え併せれば最早被告人につき再犯の可能性は全くないと断言し得るのである。

3 被告人は、本件脱税行為に対する重加算税として合計二、七〇九万円余の金員を支払うべきこととなっており、木公訴事件においても相当な額の罰金を科せられることは間違いない。

すなわち被告人は本件犯行に対して経済的に大きな負担を受けることとなるのである。

被告人は昭和二一年以来医師として永年に亘り医療活動を行い、特に後に述べる良心的かつ福祉的病院経営により本件犯行の以前において高い社会的地位と社会的名声を得てきたものであるが、被告人の本件犯行に対する税務当局による摘発及び原審判決言渡につき、いずれも大きく新聞報道がなされ、その結果被告人はその社会的地位・名声に打撃を受け精神的にも大きな苦痛を受けた。

よって被告人は、すでに経済的には勿論、精神的にもその犯行に充分対応する社会的制裁を受けたものということができる。

4 その他被告人には今日まで全く前科前歴がなく、本件犯行が六九年をかぞえる被告人の人生の中で初犯であること、被告人はすでに老齢であり、右眼が緑内障で不自由であること、被告人はこれまでの人生において真面目に努力を重ね社会人としての責務を果してきたこと等、被告人につき有利な情状は枚挙に暇がない程である。

四 被告人の医師としての社会的貢献

1 これまで述べてきた被告人に関する多くの情状に加えて見逃すことができないのは、被告人の医師としての姿勢、診療方針、病院経営の態様等及びこれらの結果として被告人及びその経営する飯沼病院が社会に貢献してきた業績である。

2 その詳細についてはすでに原審の弁論において述べたところであり、弁論要旨に記載提出済であるが、原判決がこれを片言隻句をもってかたづけ、量刑において考慮したものと何ら認められないことは極めて納得し難いところである。

3 医師の脱税行為について社会一般が厳しくこれを非難し、又それは、医師の脱税行為が一般に経済的に恵まれ社会的にも尊敬されるべき地位にある医者によってなされることの重大性に起因する面もあってそれなりの理由が存することではあるが、しかしながらそのことによって、医師が人間の生命・健康を守るという崇高な職務を長年に亘り継続遂行し、よって市民の社会生活に貢献すると共に、高い尊敬をから得てきたという事実を全く消し去ることはできないのである。

原判決が被告人の医師としての業績、社会的貢献に正当な評価を与えなかったのは妥当とは言難いと考える。

五 検察官の求刑との関係

1 原判決は、懲役八月という検察官の求刑を他のこの種の事案との均衡を著しく失するものとし、これを上回る懲役一年の刑を言渡した。

2 判決において刑の言渡が検察官の求刑を上回ってなされることを違法とするものでは勿論ないが、しかしながら裁判の構造、検察官の職務、役割等からみて、これをなすには検察官の求刑を上回るべき特段の事情が存在することが必要であり、かつ判決においてその特段の事情を明らかにすべきであると考える。

検察権の行使には全体として統一が保たれるべきことから検察官同一体の原則が存在し、検察官の裁判における求刑の実際も、具体的捜査の結果同質同種とみられる事案について全国的に統一された一定の基準によりなされているのが通常だからである。

3 本件の場合も、検察官は詳細な捜査を経て被告人の本件犯行に至る動機、犯行の態様、犯行後の状況を十分に考慮し、よって本件犯行の犯罪としての実質的重大性及びこれに対する処罰の必要性の程度を他の事件とも比較して判断したうえで前記求刑を行ったものであると考えられる。

弁護人はその懲役刑の求刑自体についても承服し難いのは勿論であるが、更にこれを上回る刑を言渡した原判決にはその具体的説明はないのは勿論客観的にも特段の事由はなく、むしろ被告人の有利な情状のみが認められるのであって、全く不当なものと言わざるを得ない。

4 原判決はその理由中で、近年問題化している医師に対する一般予防の見地からも被告人の刑責は軽視できずといい、又、検察官の求刑が他のこの種事案との均衡を著しく失するものという。

原判決がいうこの種事案との均衡とは、被告人が医師であること、その脱税額が合計八、〇〇〇万円を超えることの二点のみを比較の基準として考えられているのではないだろうか。

刑事判決に一般予防の思想が入ることは否定しないが、それのみで判決が貫ぬかれることは極めて不当かつ危険であることは、今更述べるまでもないことである。被告人が医師であること、近時医師の脱税が社会問題化していることが量刑の事情として考慮されるとしても、それと同時に、又それ以上に、本件犯行の具体的実態について精緻な審理・判断がなされるべきであって、原判決にはこのことが欠けていると言わざるを得ない。

脱税額も刑責を決定する際の多くの要素の一つにすぎない。

5 例えば原審裁判官は、その判決言渡の際被告人に対し、医師として税制上優遇されているにもかかわらず脱税を行った責任は重いという旨の発言をなした。これは租税特別措置法第二六条に規定される、医師に対して七二%の経費が認められることをさすものと考えられるが、しかしながらこの優遇税制は、個人が経営する少規模医院についてのみ意義を持つのであって(つまりそのような医院においては実際の経費は収入の七二%を大きく下回るのが通常だからである)、数多くの入院患者をかかえ、従って又数多くの従業員、諸設備を要する大規模病院にあっては、経費は収入の七二%をはるかに超えることから優遇税制の適用を受けるメリットは全くなく、故に又その適用を受けないものだからである。

現実に飯沼病院においても、昭和五二年の収入に占める経費の割合は約八三・七%、同五三年は約八五・五%、同五四年は約八九%であって、優遇税制云々は全く的はずれな議論なのである。

6 原判決は、先に述べたような被告人に関する多くの有利な情状にあえて眼をつむり、之を正当に評価することを怠り、安易に社会的風潮に乗って、粗雑かつ的を外れた理解を前提にして「他のこの種の事案との均衡」を図ったものであって、一時的に新聞紙上を賑し社会一般に拍手をもって迎えられるものかもしれないが、量刑についての衡平妥当性を甚しく欠き、司法の公正と権威に疑念を抱かしめるものであって、到底真の意味の国民の信頼をかち得ることはできないものであると信ずる。

六 以上述べてきた諸事情により原判決の量刑は甚だしく不当であり、懲役刑を被告人に科すべきではないと考えるので、上級審である御庁の御再考を煩わし、原判決の破棄を求める次第である。

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